小谈日语学习者的一些常见错误
2004-05-25 16:33 | redfish
日本語学習者の誤用について
外国語学部外国語学科 5セメ
劉煜 0800319815
外国語を勉強しているうちに、母語文法との違いおよび表す意味の範囲との違いなどによっていろいろな誤用が現れてきた。そして、学習者のレベルによって誤用が違う。
私は日本語を勉強して以来、犯した誤用が数え切れないほど多い。いつも母語に影響されている。まさか生涯かけて母語の影響から抜き出せないのではないかとよく思われた。
最初はよく「~ていない」と「~ない」との区別がつかなかった。これはどういうような誤用だというと、たとえば、『敬語を習ったか?』と聞かれると、思わず『習わない』と答えたというような誤用だった。「だった」というけど、今でも場合によっては犯す可能性がある。もうひとつは「ある」と「いる」についての誤用だ。中国語には、こういう存在の意を表す動詞が一つだけある。生物にしても無生物にしても両方とも「有」を使う、日本語の場合になると、分けなければならなくなった。すると、使い方が中国語より複雑になったというわけで中国人の学習者はこういう誤用をよく犯した。
次に、助詞についての誤用がよく現れた。それは「住む」「勤める」などの動詞を使う場合になると、「で」と間違えたことがよくある。どうして「に」を使わなければならないのか今になってもわからないが、きちんと覚えておけば誤用を犯さなくなるだろうと思った。また、「鳥は空を飛んでいる。」の中の「を」を「で」と間違えたことがある。これは当時、「食堂でご飯を食べている。」と同じように「鳥は空を飛んでいる。」も動作の場所という意が含まれているじゃないかと思ってどう考えても「を」を使うのはなかなか納得できなかった。
もっとなおすことが難しいのはたぶん授受動詞だろうと思う。「やる」「あげる」「さしあげる」「くれる」「くださる」「もらう」「いただく」など、その上、「せる」「させる」などを加えると、いろんな組み合わせによっていろんな意味を含めている文が出てきた。日本語が外国語である学習者にとって、それは頭を混乱させやすい。たとえば、休みをとるとき、「休ませていただきたいんですが」と言うべきだが、「休んでいただきたいんですが」といった!こういうようなひどい間違いが出てきやすいといえる。授受動詞の組み合わせによって、「写真を撮ってもらってやってください」というような三つの授受動詞が入っている文さえも出てきた。
どんなに日本語が上手になっても、犯す可能性がある誤用は指示詞についての誤用である。「これ、それ、あれ」「ここ、そこ、あそこ」「こんな、そんな、あんな」などというような指示詞をコ・ソ・ア系指示詞という。基本的なものとして、かなり早い時期に導入される文法項目であるが、どんなレベルでも誤用が現れたということから見ると、学習者にとって習得がもっとも困難であることがわかる。 中国語と英語は「这」と「那」、「this」と「that」というように指示詞は二つの体系が分けられている。日本語の場合、コ、ソ、ア、三つの体系が分けられている。というのは、問題の焦点はソ系指示詞にある。比べてみると、ソ系は意味の表す範囲が最も広い指示詞であることがわかる。ソ系指示詞が現れると、一般的には、中国語の「那」系指示詞に訳すわけであるが、日本語には、ア系指示詞があるため、中国語の「那」系指示詞を逆に日本語に訳すと、ソ系に訳すべき場合にア系に訳し間違い、ア系に訳すべき場合にソ系に訳し間違いたことがよく現れる。中国語の「这」系指示詞も「那」系指示詞と同じように、コ系に訳す場合もあればソ系に訳す場合もある。つまり、両国の指示詞は指示する物事の範囲が完全に重なっているわけではない。こういう例がある:
① Aさんは「昨日渡辺さんに会いました。」といってBさんは「あの人、元気でした?」と聞いた。
② Aさんは「昨日渡辺さんに会いました。」といってBさんは「その人、どなたですか?」と聞いた。
この例の中に、なぜBさんの話の中の指示詞が違うかという疑問がよく学習者の頭の中に現れてきた。②の場合、「あの人、どなたですか?」と間違える人がきっといるだろう。なぜかというと、①と②の「あの人」と「その人」両方とも中国語で「那个人」でいうから。この例を少し注意すると、①はBさんは渡辺さんを知っている場合で②はBさんは渡辺さんを知らない場合であることがわかる。ということから、日本語の指示詞は、ただ単純に話者との距離によって使い分けるわけではないと一応結論できる。要するに、コ系とア系指示詞が指示する物事は具体的なことだと言え、ソ系指示詞が指示する物事には具体的なこともあれば抽象的なこともある、すなわち普遍的なことだといえる。もっと簡単に言えば、それを数学的に言い変えることができる。日本語のコ、ソ、ア系指示詞が指示するすべての物事をそれぞれ、a集合、b集合、c集合にし、中国語の「这」、「那」系指示詞が指示するすべての物事をそれぞれ、A集合、B集合にしたら、全集合I=a⋃b⋃c=A⋃B、a⊂A、c⊂B、b⋢A、b⋢B、などの関係が出てきた。
一言に言えば、中国語と日本語(または英語と日本語)は指示詞が指示する物事の範囲が完全に重なっていないこと、すなわち範囲の違いは日本語学習者に誤用を引き起こす主な原因となっていると思う。
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风流云散,一别如雨。
外国語学部外国語学科 5セメ
劉煜 0800319815
外国語を勉強しているうちに、母語文法との違いおよび表す意味の範囲との違いなどによっていろいろな誤用が現れてきた。そして、学習者のレベルによって誤用が違う。
私は日本語を勉強して以来、犯した誤用が数え切れないほど多い。いつも母語に影響されている。まさか生涯かけて母語の影響から抜き出せないのではないかとよく思われた。
最初はよく「~ていない」と「~ない」との区別がつかなかった。これはどういうような誤用だというと、たとえば、『敬語を習ったか?』と聞かれると、思わず『習わない』と答えたというような誤用だった。「だった」というけど、今でも場合によっては犯す可能性がある。もうひとつは「ある」と「いる」についての誤用だ。中国語には、こういう存在の意を表す動詞が一つだけある。生物にしても無生物にしても両方とも「有」を使う、日本語の場合になると、分けなければならなくなった。すると、使い方が中国語より複雑になったというわけで中国人の学習者はこういう誤用をよく犯した。
次に、助詞についての誤用がよく現れた。それは「住む」「勤める」などの動詞を使う場合になると、「で」と間違えたことがよくある。どうして「に」を使わなければならないのか今になってもわからないが、きちんと覚えておけば誤用を犯さなくなるだろうと思った。また、「鳥は空を飛んでいる。」の中の「を」を「で」と間違えたことがある。これは当時、「食堂でご飯を食べている。」と同じように「鳥は空を飛んでいる。」も動作の場所という意が含まれているじゃないかと思ってどう考えても「を」を使うのはなかなか納得できなかった。
もっとなおすことが難しいのはたぶん授受動詞だろうと思う。「やる」「あげる」「さしあげる」「くれる」「くださる」「もらう」「いただく」など、その上、「せる」「させる」などを加えると、いろんな組み合わせによっていろんな意味を含めている文が出てきた。日本語が外国語である学習者にとって、それは頭を混乱させやすい。たとえば、休みをとるとき、「休ませていただきたいんですが」と言うべきだが、「休んでいただきたいんですが」といった!こういうようなひどい間違いが出てきやすいといえる。授受動詞の組み合わせによって、「写真を撮ってもらってやってください」というような三つの授受動詞が入っている文さえも出てきた。
どんなに日本語が上手になっても、犯す可能性がある誤用は指示詞についての誤用である。「これ、それ、あれ」「ここ、そこ、あそこ」「こんな、そんな、あんな」などというような指示詞をコ・ソ・ア系指示詞という。基本的なものとして、かなり早い時期に導入される文法項目であるが、どんなレベルでも誤用が現れたということから見ると、学習者にとって習得がもっとも困難であることがわかる。 中国語と英語は「这」と「那」、「this」と「that」というように指示詞は二つの体系が分けられている。日本語の場合、コ、ソ、ア、三つの体系が分けられている。というのは、問題の焦点はソ系指示詞にある。比べてみると、ソ系は意味の表す範囲が最も広い指示詞であることがわかる。ソ系指示詞が現れると、一般的には、中国語の「那」系指示詞に訳すわけであるが、日本語には、ア系指示詞があるため、中国語の「那」系指示詞を逆に日本語に訳すと、ソ系に訳すべき場合にア系に訳し間違い、ア系に訳すべき場合にソ系に訳し間違いたことがよく現れる。中国語の「这」系指示詞も「那」系指示詞と同じように、コ系に訳す場合もあればソ系に訳す場合もある。つまり、両国の指示詞は指示する物事の範囲が完全に重なっているわけではない。こういう例がある:
① Aさんは「昨日渡辺さんに会いました。」といってBさんは「あの人、元気でした?」と聞いた。
② Aさんは「昨日渡辺さんに会いました。」といってBさんは「その人、どなたですか?」と聞いた。
この例の中に、なぜBさんの話の中の指示詞が違うかという疑問がよく学習者の頭の中に現れてきた。②の場合、「あの人、どなたですか?」と間違える人がきっといるだろう。なぜかというと、①と②の「あの人」と「その人」両方とも中国語で「那个人」でいうから。この例を少し注意すると、①はBさんは渡辺さんを知っている場合で②はBさんは渡辺さんを知らない場合であることがわかる。ということから、日本語の指示詞は、ただ単純に話者との距離によって使い分けるわけではないと一応結論できる。要するに、コ系とア系指示詞が指示する物事は具体的なことだと言え、ソ系指示詞が指示する物事には具体的なこともあれば抽象的なこともある、すなわち普遍的なことだといえる。もっと簡単に言えば、それを数学的に言い変えることができる。日本語のコ、ソ、ア系指示詞が指示するすべての物事をそれぞれ、a集合、b集合、c集合にし、中国語の「这」、「那」系指示詞が指示するすべての物事をそれぞれ、A集合、B集合にしたら、全集合I=a⋃b⋃c=A⋃B、a⊂A、c⊂B、b⋢A、b⋢B、などの関係が出てきた。
一言に言えば、中国語と日本語(または英語と日本語)は指示詞が指示する物事の範囲が完全に重なっていないこと、すなわち範囲の違いは日本語学習者に誤用を引き起こす主な原因となっていると思う。
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风流云散,一别如雨。