日语动词变化详细流水帐
2004-05-25 16:18 | redfish
日本語動詞の活用形変化
日語系99級4班
刘煜 994104006
英語の中、動詞beはいろいろな場合によって、is、are、wereなどに変化する形がある。この英語の動詞beと同じように、日本語の中に場合によっていろいろな形に変化する詞もある。しかし、英語と違って、日本語の中に、形の変化する単語は形容詞、形容動詞、助動詞、動詞、四つの種類がある。この四つの単語を「活用する語」という。
現在、活用の定義といえば、「同じひとつの動詞や形容詞が、あとの語とのつながりぐあいによって形をかえること」というのが最も常識的ものであろう。これに対して国語学者、言語学者から批判が出されて久しいが、学校文法では依然としてこのような「説明」が通っており、従って広く一般の常識となっている。もっと具体的にいえば、活用というのは、概念的なことが現実の分として発せられるときに、話し手の態度を表すべくどうしても述語がそこから一つを選ばなければならない形態素の体系である。
四種類の活用する語の中に、変化する形の種類が一番多く、形のかえかたが最も複雑なのは動詞であるに違いない。これから、動詞の活用形変化についていろいろな考えを述べさせていただきたい。
動詞は文中での使われ方によっていろいろに形をかえる。そのかえかたに一定の規則性がある。その規則性は日本語動詞の最も魅力的な面であるといえる。
日本語動詞に二種類がある。それは「正格活用動詞」と「変格活用動詞」と分けられる。正格活用動詞には「五段動詞」と「一段動詞」と分けられ、変格活用動詞には「サ行変格活用動詞」(サ変動詞とも言う)と「カ行変格活用動詞」(カ変動詞ともいう)と分かられる。五段動詞と一段動詞には数え切れないほど多くの動詞がある。それに対して、サ変動詞カ変動詞は「する」と「くる」それぞれ一語だけである。なぜ変格活用動詞というと、この二語だけは活用形変化が正格活用動詞と違うからであろう。
動詞の活用形変化を理解するには、五十音図の理解が十分でなければならない。これから、五段動詞から動詞の活用について述べさせていただきたい。
ここで「書く」という動詞を例として、五段動詞はどういうようなかえかたがあるのかを考えてみよう。
まず、そこで断定して言い切りなっている場合と命令の意を含めた陳述で言い切っている場合とが、区別される。つぎに、後の語に続いていって、さらに何らかの陳述の加わることを予想している形には、後に続く語に応じていろいろの形が考えられる。たとえば、「ない」という辞につづく際には「書か」という形をとって、「書かない」と言う。「ぬ」につづくときも同じ形をとるわけである。つぎに、「ます」と言う辞につづくときには、「書き」という形をとる。「つつ」、「ながら」につづくときも同じ形である。のみならず、ほかの活用する詞、たとえば、「終わる」というような語につづくときもこの形をとるし、さらに、「僕が宛名を書き、妹が切手を張る。」というように、そこでちょっと言葉を切る場合にもこの形が現れる。次に今度は「らしい、だろう、でしょう、まい、と、けれども、が、から、し、な、ので、のに、やら、か、ぞ、とも、ばかり、だけ」などの辞や体言につづく形は、いずれも「書く」であって、これはさきの言い切りの場合と同じである。また、「ば」につづくときの「書け」もさきの命令の陳述を含んだものと同じ形になる。
ここで、「書く」という動詞は四つの形に変える場合もある。すなわち、書か、書き、書く、書け、という四つの形がある。五十音図から見れば、あ、い、う、えの四段に対応している。つまり、「書く」というような動詞はもともと「四段動詞」という。それは日本歴史から見れば長い間に存在していたという。なぜ、現代に「五段動詞」というかというと、それは最後の「お」段という音にかわった場合が現れてきたからである。もともと推量の陳述には、「書か」に「む」という推量の助動詞が接したのだが、時代が下ると、その「mu」が「m」そして「n」に変化し、さらに「u」という形に変わって、「書かむ」は「書かう」となった。この「kaka-u」における「au」の音が変化して、ついに「o:」と、オの長音に発音されるようになったのである。「歴史的仮名遣い」では、発音がこう変わっても、文字の上ではやはり「書かう」と書き表していたから、それにのっとって文法上の活用形もまた、「う」につづくものとして「書か」という形を考えたのだが、「現代仮名遣い」では、これを「書こう」と表記するように決めた。そこで結局、「書く」という動詞の活用形は口語では「書か、書き、書く、書け、書こ」五つあるということになった。
前のように、あらゆる五段動詞のあらゆる活用形が尽くされているかというと、実はそうではない。「書く」という動詞が「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「書い」という形になった。こういう現象は五段動詞に限って起こるのである。こういう音の転化を音便と呼ぶ。五段動詞の音便形には三種類がある。それぞれ、イ音便、促音便、撥音便という。この三種類の五段動詞音便形はどのような形になっているのかをやはり五十音図に十分理解する上で考えなければならない。また、動詞の「語幹」と「語尾」に基づいて考えなくてはならない。
まず、五段動詞の「語幹」と「語尾」は何であるかを考えてみれば、「語幹」は「形の変わらない部分」であるという点がすぐわかるだろうが、その「形の変わらない部分」は何であるかを考えてみれば、それは「書く」の前半部分「か」というような部分であるとすぐ結論した人がきっと多いだろう。実際にそうではない。もう少し深く注意すると、「形の変わらない部分」はローマ字から考えれば、「kak」であって、「ka」ではないことに気づいたのだろう。こういうように、「うる」、「たつ」、「さす」、「しぬ」、「はる」、「まく」などの五段動詞は語幹がそれぞれ「ur」、「tat」、「sas」、「shin」、「har」、「mak」であるということが一般的に考えられる。こういうことから、五段動詞の語尾は必ず「u」であると定義し得る。つぎに、五段動詞の語幹の最後の子音は五十音図から見れば、あまり深く考えなくても、[z]、[(z)]([d])、[p]、[h]、[y]の五つのが絶対出て来ないことがすぐわかるだろう。だから、五段動詞の語幹の最後の子音は[k]、[g]、[s]、[t]、[n]、[b]、[m]、[r]、[(u)](「買う」のような動詞)九つだけがある。つまり、五段動詞の最後の音節はく、ぐ、す、つ、ぬ、ぶ、む、る、う(ワ行)九つだけがある。こういう点がわかれば、五段動詞の音便形変化の分類はずっと簡単になるのであろう。
まず、イ音便について述べよう。それは二種類がある。「く」と「ぐ」で終わる五段動詞に限っている。「く」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「書きて」→「書いて」、すなわち、[kak-ite]→[ka-ite]というように語尾にくっついている語幹の子音が脱落した。すると、「書く」という五段動詞の活用形は前に述べたい五つの活用形と違って六つ目の形になったという。「ぐ」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞に続くときには、「およぎて」→「およいで」、すなわち、[oyog-ite]→[oyo-ide]というように語尾にくっついている語幹の子音が脱落した上に「て」は「で」と濁音化した。以上のように、「く」と「ぐ」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづく時には、最後の音節「く」と「ぐ」が「い」になったという音便形の活用形が現れてきた。
促音便というと、「つ」、「る」、「う」でおわる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、打ちて→打って、乗りて→のって、うたいて→うたって、すなわち、ut-ite→ut-te,nor-ite→not-te,utaw-ite→utat-teというようにそれぞれ母音脱落、文節交替、音節交替という変化に通じて、結局皆「うっ」、「のっ」、「うたっ」という促音便形になった。
撥音便形というと、「ぬ」、「ぶ」、「む」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、しにて→しんで、とびて→とんで、のみて→のんで、すなわち、sin-ite→sin-de,tob-ite→ton-de,nom-ite→non-deというように文節交替という変化に通じて、皆「しん」、「とん」、「のん」という撥音便形になった上に「た」、「て」、「ても」、「たり」は全部「だ」、「で」、「でも」、「だり」と濁音化したのである。
以上の五段動詞の音便形には無論、例外がある。それは「行く」と「問う」である。「く」でおわる「行く」は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「行い」とイ音便形になるはずだが、「行っ」という促音便形になった。「う」でおわる「問う」は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「問っ」と促音便形になるはずだが、「問う」のままに何の形にも変化しない。
では、最後に残った「す」で終わる五段動詞はどうなるかというと、意外と何の音便もない。つまり、「す」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「さす」→「さし」というように連用形と同じ形になるわけである。
ここまで、五段動詞のすべての活用形変化は大体述べつくしたが、普通使う頻度が高いため、また例外の変化を説明する必要があると思う。一般的には、「ます、ながら」などの辞につづくときには、五段動詞は語幹が変わらなく、語尾「u」が「i」に変わるはずだが、敬語動詞の中に、五つの動詞がそうではない。「ます、ながら」などの辞につづくときだけでなく、命令の意を含めた陳述で言い切っている場合も普通の五段動詞と違っている。「いらっしゃる」、「おっしゃる」、「くださる」、「なさる」、「ござる」、この五つの五段動詞は「ます、ながら」という辞に続くときと命令の意を含めた陳述で言いきっているときと同じで、「なさり」→「なさい」すなわち、nasari→nasa-iというように語幹の子音「r」が脱落した。それはイ音便形じゃないかと考える人がいるだろうが、実際にそうではない。なぜそれはイ音便形ではないのかというと、「なさる」を例としたら、それは「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「なさい」ではなく、「なさっ」という形に変わったからである。つまり、ほかの「る」で終わる五段動詞と同じように促音便形になったわけである。
ここで五段動詞の活用形変化が述べ終わって、「ある」という五段動詞はなぜ未然形「あら」はほとんど使われないかおよびどういう場合に「あら」という形に変わるかとか、「くださる」という五段動詞はどういう場合に「くださり」という形に変わるかとか言うような問題についての説明はここで省略させていただきたい。
それから、一段動詞の活用形変化について述べよう。なぜ一段動詞というかというと、やはり五十音図の理解上で考えなければならない。現代語で、「見る、落ちる」などは「五十音図の真ん中より上の一段を中心として活用する」から、「上一段動詞」と呼び、「出る、受ける」などは「五十音図の真ん中より下の一段を中心として活用する」から、「下一段動詞」と呼ぶというふうに説明すれば、わかりやすいかもしれない。一段動詞の活用形変化は五段動詞より比較的に簡単であるが、その活用形をローマ字で語幹と語尾から分析すれば、かえって複雑になるのである。なぜかというと、一段動詞の語幹は一定していないからである。たとえば、「のびる」と「うける」というような一段動詞の語幹は「no」と「u」であるが、「見る」、「似る」というような一段動詞の場合になると、語幹と語尾の区別がつかないものになったのである。「見る」はローマ字で考えれば、語幹は「mi-」であるが、「ない、ます」などにつづくときには、「み」という形になって、語尾は語幹と同じ形となったという。だから、一段動詞の活用形変化について説明するには、仮名で考えれば、理解しやすくなるかもしれない。ほとんどの一段動詞は活用形変化が同じ形式の規則に従っている。まず、断定して言い切りになっている場合は何の変化も起こらない。次に、「らしい、だろう、でしょう、と、けれども、が、から、し、な、ので、のに、やら、か、ぞ、とも、ばかり、だけ」などの辞や体言に続く場合も何の変化も起こらない。つまり、一段動詞の終止形と連体形は基本形と同じ形である。受身、自発、可能、尊敬の意を表す助動詞「られる」、使役の意を表す助動詞「させる」、推量、意志、勧誘の意を表す助動詞「よう」、否定の意を表す助動詞「ない、ぬ」などにつづくときにも、「ます、つつ、ながら、たい、たがる、た、て、ても、たり」などの辞につづくときにも、他の活用する語につづくときにも、さらに、ちょっと言葉を切る場合にも、一段動詞の最後の音節「る」が脱落した。つまり、一段動詞の未然形と連用形は「る」の脱落した形となったのである。つぎに、接続助詞「ば」につづくときには、最後の音節「る」は「れ」になった。つまり、語尾の最後の母音「u」は「e」になった。最後に、命令の意を含めた陳述で言い切っているときには、最後の音節「る」は母音「u」が「o」になったことによって「ろ」になったというような場合もあるが、あるいは最後の音節「る」は全体として子音と母音両方とも変わったことによって「よ」になったというような場合もある。つまり、一段動詞の命令形には二種類の形がある。無論、五段動詞と同じように、一段動詞の活用形変化には例外がある。しかし、例外は「くれる」という一語だけである。それに、「くれる」の活用形変化には他の一段動詞と違うのが命令形だけである。「くれる」の命令形は「くれろ」でもなく、「くれよ」でもなく、最後の音節「る」の脱落した形「くれ」である。
さて、変格活用動詞について述べよう。変格活用動詞の語幹は何かというと、複雑な問題になる。ローマ字で考えると、語幹は「k」、「s」と言えるが、「ko-」、「ki-」、「ku-」のように語幹の母音が変化するものともいえるのであろう。そういうわけで、やはり仮名から考えなければならない。
まず、カ変動詞「くる」について考えてみよう。まず、「られる、させる、ない、まい、ぬ、よう」などの助動詞につづくと、「くる」は「こ」という形になる。すなわち、カ変動詞の未然形は「こ」である。「ます、つつ、ながら、たい、たがる、た、て、ても、たり」などの辞に続くときにも、ちょっと言葉を切る場合にも、「くる」は「き」と言う形になる。すなわち、カ変動詞の連用形は「き」である。「らしい、と、けど、ので」などの辞や体言に続く場合、または、断定して言い切りになっている場合は、「くる」は何の変化も起こらない。すなわち、他の動詞と同じように、カ変動詞の終止形と連体形は基本形と同じ形をとる。「ば」につづくときには、「くる」は「くれ」と言う形になる。すなわち、他の動詞と同じように、カ変動詞の仮定形も最後の母音「u」が「e」に変わった形をとる。命令の意を含めた陳述で言い切っているときには、「くる」は「こい」と言う形になる。すなわち、カ変動詞の命令形は「こい」である。
つぎに、サ変動詞「する」について考えてみよう。同じ不規則動詞であるが、カ変動詞に比べると、活用形変化がもっと複雑である。まず、サ変動詞の未然形を考えてみると、三つの形が現れてきたことに気がついたのであろう。受身、自発、尊敬の意を表す助動詞「れる」、使役助動詞「せる」につづくときには、「する」は「すら、す、そ」などのような形になるのではなく、「さ」という形になった。しかし、ここで一つの注意しなければならない点がある。「れる」という助動詞は受身、自発、尊敬の意を表す以外に、可能の意をも表す。だが、サ変動詞「する」の可能形態は「される」ではなく、「できる」という一段動詞となっているのである。つぎに、推量、意志、勧誘の意を表す助動詞「よう」、否定推量、否定意志助動詞「まい」、否定の意を表す助動詞「ない」につづくときには、「する」は「し」という形になった。もう一つ否定の意を表す助動詞「ぬ」およびこの助動詞の連用形「ず」と仮定形「ね」に続くときには、「する」は「さ」になるのでもなく、「し」になるのでもなく、「せ」という形になったのである。つまり、サ変動詞の未然形は「さ」、「し」、「せ」という三つの形がある。「ます、つつ、ながら」などの辞につづくときにも、ちょっと言葉を切る場合にも、「する」は「し」という形をとる。すなわち、サ変動詞の連用形は「し」である。「らしい、と、けど、ので」などの辞や体言に続く場合と断定して言い切りになっている場合は「する」は何の変化も起こらない。すなわち、ほかの動詞と同じように、サ変動詞の終止形と連体形も基本形の形をとるのである。「ば」につづくときには、ほかの動詞と同じで、サ変動詞の仮定形も最後の母音「u」が「e」に変わった形をとる。最後に、命令の意を含めた陳述で言い切っているときには、すなわちサ変動詞の命令形は「しろ」と「せよ」と分けている。話し言葉として使われているサ変動詞の命令形は「しろ」という形をとり、書き言葉として使われているサ変動詞の命令形は「せよ」という形をとるのが普通である。
以上で、日本語動詞の活用形変化について簡単に述べたが、最後に残った一つの特殊な動詞がある。それは現代語では未然形、連用形、終止形、連体形として使われている文語動詞「得る」である。ここでその四つの活用形について述べさせていただきたい。普通は「得る」は五段動詞「ある」の連用形「あり」に結びついて使われているという。一般的には未然形は「ない」という助動詞につづいて使われている。「そんなことはあり得ない」というように「得る」は「え」という形になるのである。「いいや、あり得る」、「あり得る話だ」というように「得る」の終止形と連体形は「える」という形になる場合もあり、「うる」という形になる場合もある。「人民から得たものを人民のために用いる」というように「得る」の連用形は「え」という形になるのである。この四つの活用形のほかに、「得る」の仮定形、命令形は「得ろ」「得れ」とは使わず、ほかの言葉に置き換えられてしまうと思う。「資格をとれ」という文は「資格を得る」ことだが、「資格を得ろ」とは言わない。同じように、「辞書があれば、調べられるのに。」「友達がいれば、助けてもらえたのに。」などと、いうように反実仮想を表す場合も、「得れ」とは使わず、ほかの言葉に置き換えられてしまうと思う。
以上の内容をまとめてみれば、三つのポイントが出てきた。それはつぎのようになるのである。
1、五段動詞以外の動詞はすべて「る」で終わる動詞であること。
2、「る」で終わらない動詞は必ず五段動詞であること。
3、すべての動詞(「得る」だけが例外)は終止形、連体形、仮定形への変え方が同じであること。
以上述べたようなその一定の規則性を持っている日本語動詞はその独特な活用形変化で多くの日本語学習者にすごい魅力的な感じを与えたのではないだろう。
参考文献
「日本語のシンタクスと意味Ⅱ」 寺村秀夫 くろしお出版 1990年
「改稿 日本語文法の話 第三版」 阪倉篤義 教育出版 平成10年
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风流云散,一别如雨。
日語系99級4班
刘煜 994104006
英語の中、動詞beはいろいろな場合によって、is、are、wereなどに変化する形がある。この英語の動詞beと同じように、日本語の中に場合によっていろいろな形に変化する詞もある。しかし、英語と違って、日本語の中に、形の変化する単語は形容詞、形容動詞、助動詞、動詞、四つの種類がある。この四つの単語を「活用する語」という。
現在、活用の定義といえば、「同じひとつの動詞や形容詞が、あとの語とのつながりぐあいによって形をかえること」というのが最も常識的ものであろう。これに対して国語学者、言語学者から批判が出されて久しいが、学校文法では依然としてこのような「説明」が通っており、従って広く一般の常識となっている。もっと具体的にいえば、活用というのは、概念的なことが現実の分として発せられるときに、話し手の態度を表すべくどうしても述語がそこから一つを選ばなければならない形態素の体系である。
四種類の活用する語の中に、変化する形の種類が一番多く、形のかえかたが最も複雑なのは動詞であるに違いない。これから、動詞の活用形変化についていろいろな考えを述べさせていただきたい。
動詞は文中での使われ方によっていろいろに形をかえる。そのかえかたに一定の規則性がある。その規則性は日本語動詞の最も魅力的な面であるといえる。
日本語動詞に二種類がある。それは「正格活用動詞」と「変格活用動詞」と分けられる。正格活用動詞には「五段動詞」と「一段動詞」と分けられ、変格活用動詞には「サ行変格活用動詞」(サ変動詞とも言う)と「カ行変格活用動詞」(カ変動詞ともいう)と分かられる。五段動詞と一段動詞には数え切れないほど多くの動詞がある。それに対して、サ変動詞カ変動詞は「する」と「くる」それぞれ一語だけである。なぜ変格活用動詞というと、この二語だけは活用形変化が正格活用動詞と違うからであろう。
動詞の活用形変化を理解するには、五十音図の理解が十分でなければならない。これから、五段動詞から動詞の活用について述べさせていただきたい。
ここで「書く」という動詞を例として、五段動詞はどういうようなかえかたがあるのかを考えてみよう。
まず、そこで断定して言い切りなっている場合と命令の意を含めた陳述で言い切っている場合とが、区別される。つぎに、後の語に続いていって、さらに何らかの陳述の加わることを予想している形には、後に続く語に応じていろいろの形が考えられる。たとえば、「ない」という辞につづく際には「書か」という形をとって、「書かない」と言う。「ぬ」につづくときも同じ形をとるわけである。つぎに、「ます」と言う辞につづくときには、「書き」という形をとる。「つつ」、「ながら」につづくときも同じ形である。のみならず、ほかの活用する詞、たとえば、「終わる」というような語につづくときもこの形をとるし、さらに、「僕が宛名を書き、妹が切手を張る。」というように、そこでちょっと言葉を切る場合にもこの形が現れる。次に今度は「らしい、だろう、でしょう、まい、と、けれども、が、から、し、な、ので、のに、やら、か、ぞ、とも、ばかり、だけ」などの辞や体言につづく形は、いずれも「書く」であって、これはさきの言い切りの場合と同じである。また、「ば」につづくときの「書け」もさきの命令の陳述を含んだものと同じ形になる。
ここで、「書く」という動詞は四つの形に変える場合もある。すなわち、書か、書き、書く、書け、という四つの形がある。五十音図から見れば、あ、い、う、えの四段に対応している。つまり、「書く」というような動詞はもともと「四段動詞」という。それは日本歴史から見れば長い間に存在していたという。なぜ、現代に「五段動詞」というかというと、それは最後の「お」段という音にかわった場合が現れてきたからである。もともと推量の陳述には、「書か」に「む」という推量の助動詞が接したのだが、時代が下ると、その「mu」が「m」そして「n」に変化し、さらに「u」という形に変わって、「書かむ」は「書かう」となった。この「kaka-u」における「au」の音が変化して、ついに「o:」と、オの長音に発音されるようになったのである。「歴史的仮名遣い」では、発音がこう変わっても、文字の上ではやはり「書かう」と書き表していたから、それにのっとって文法上の活用形もまた、「う」につづくものとして「書か」という形を考えたのだが、「現代仮名遣い」では、これを「書こう」と表記するように決めた。そこで結局、「書く」という動詞の活用形は口語では「書か、書き、書く、書け、書こ」五つあるということになった。
前のように、あらゆる五段動詞のあらゆる活用形が尽くされているかというと、実はそうではない。「書く」という動詞が「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「書い」という形になった。こういう現象は五段動詞に限って起こるのである。こういう音の転化を音便と呼ぶ。五段動詞の音便形には三種類がある。それぞれ、イ音便、促音便、撥音便という。この三種類の五段動詞音便形はどのような形になっているのかをやはり五十音図に十分理解する上で考えなければならない。また、動詞の「語幹」と「語尾」に基づいて考えなくてはならない。
まず、五段動詞の「語幹」と「語尾」は何であるかを考えてみれば、「語幹」は「形の変わらない部分」であるという点がすぐわかるだろうが、その「形の変わらない部分」は何であるかを考えてみれば、それは「書く」の前半部分「か」というような部分であるとすぐ結論した人がきっと多いだろう。実際にそうではない。もう少し深く注意すると、「形の変わらない部分」はローマ字から考えれば、「kak」であって、「ka」ではないことに気づいたのだろう。こういうように、「うる」、「たつ」、「さす」、「しぬ」、「はる」、「まく」などの五段動詞は語幹がそれぞれ「ur」、「tat」、「sas」、「shin」、「har」、「mak」であるということが一般的に考えられる。こういうことから、五段動詞の語尾は必ず「u」であると定義し得る。つぎに、五段動詞の語幹の最後の子音は五十音図から見れば、あまり深く考えなくても、[z]、[(z)]([d])、[p]、[h]、[y]の五つのが絶対出て来ないことがすぐわかるだろう。だから、五段動詞の語幹の最後の子音は[k]、[g]、[s]、[t]、[n]、[b]、[m]、[r]、[(u)](「買う」のような動詞)九つだけがある。つまり、五段動詞の最後の音節はく、ぐ、す、つ、ぬ、ぶ、む、る、う(ワ行)九つだけがある。こういう点がわかれば、五段動詞の音便形変化の分類はずっと簡単になるのであろう。
まず、イ音便について述べよう。それは二種類がある。「く」と「ぐ」で終わる五段動詞に限っている。「く」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「書きて」→「書いて」、すなわち、[kak-ite]→[ka-ite]というように語尾にくっついている語幹の子音が脱落した。すると、「書く」という五段動詞の活用形は前に述べたい五つの活用形と違って六つ目の形になったという。「ぐ」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞に続くときには、「およぎて」→「およいで」、すなわち、[oyog-ite]→[oyo-ide]というように語尾にくっついている語幹の子音が脱落した上に「て」は「で」と濁音化した。以上のように、「く」と「ぐ」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづく時には、最後の音節「く」と「ぐ」が「い」になったという音便形の活用形が現れてきた。
促音便というと、「つ」、「る」、「う」でおわる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、打ちて→打って、乗りて→のって、うたいて→うたって、すなわち、ut-ite→ut-te,nor-ite→not-te,utaw-ite→utat-teというようにそれぞれ母音脱落、文節交替、音節交替という変化に通じて、結局皆「うっ」、「のっ」、「うたっ」という促音便形になった。
撥音便形というと、「ぬ」、「ぶ」、「む」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、しにて→しんで、とびて→とんで、のみて→のんで、すなわち、sin-ite→sin-de,tob-ite→ton-de,nom-ite→non-deというように文節交替という変化に通じて、皆「しん」、「とん」、「のん」という撥音便形になった上に「た」、「て」、「ても」、「たり」は全部「だ」、「で」、「でも」、「だり」と濁音化したのである。
以上の五段動詞の音便形には無論、例外がある。それは「行く」と「問う」である。「く」でおわる「行く」は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「行い」とイ音便形になるはずだが、「行っ」という促音便形になった。「う」でおわる「問う」は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「問っ」と促音便形になるはずだが、「問う」のままに何の形にも変化しない。
では、最後に残った「す」で終わる五段動詞はどうなるかというと、意外と何の音便もない。つまり、「す」で終わる五段動詞は「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「さす」→「さし」というように連用形と同じ形になるわけである。
ここまで、五段動詞のすべての活用形変化は大体述べつくしたが、普通使う頻度が高いため、また例外の変化を説明する必要があると思う。一般的には、「ます、ながら」などの辞につづくときには、五段動詞は語幹が変わらなく、語尾「u」が「i」に変わるはずだが、敬語動詞の中に、五つの動詞がそうではない。「ます、ながら」などの辞につづくときだけでなく、命令の意を含めた陳述で言い切っている場合も普通の五段動詞と違っている。「いらっしゃる」、「おっしゃる」、「くださる」、「なさる」、「ござる」、この五つの五段動詞は「ます、ながら」という辞に続くときと命令の意を含めた陳述で言いきっているときと同じで、「なさり」→「なさい」すなわち、nasari→nasa-iというように語幹の子音「r」が脱落した。それはイ音便形じゃないかと考える人がいるだろうが、実際にそうではない。なぜそれはイ音便形ではないのかというと、「なさる」を例としたら、それは「た、て、ても、たり」という辞につづくときには、「なさい」ではなく、「なさっ」という形に変わったからである。つまり、ほかの「る」で終わる五段動詞と同じように促音便形になったわけである。
ここで五段動詞の活用形変化が述べ終わって、「ある」という五段動詞はなぜ未然形「あら」はほとんど使われないかおよびどういう場合に「あら」という形に変わるかとか、「くださる」という五段動詞はどういう場合に「くださり」という形に変わるかとか言うような問題についての説明はここで省略させていただきたい。
それから、一段動詞の活用形変化について述べよう。なぜ一段動詞というかというと、やはり五十音図の理解上で考えなければならない。現代語で、「見る、落ちる」などは「五十音図の真ん中より上の一段を中心として活用する」から、「上一段動詞」と呼び、「出る、受ける」などは「五十音図の真ん中より下の一段を中心として活用する」から、「下一段動詞」と呼ぶというふうに説明すれば、わかりやすいかもしれない。一段動詞の活用形変化は五段動詞より比較的に簡単であるが、その活用形をローマ字で語幹と語尾から分析すれば、かえって複雑になるのである。なぜかというと、一段動詞の語幹は一定していないからである。たとえば、「のびる」と「うける」というような一段動詞の語幹は「no」と「u」であるが、「見る」、「似る」というような一段動詞の場合になると、語幹と語尾の区別がつかないものになったのである。「見る」はローマ字で考えれば、語幹は「mi-」であるが、「ない、ます」などにつづくときには、「み」という形になって、語尾は語幹と同じ形となったという。だから、一段動詞の活用形変化について説明するには、仮名で考えれば、理解しやすくなるかもしれない。ほとんどの一段動詞は活用形変化が同じ形式の規則に従っている。まず、断定して言い切りになっている場合は何の変化も起こらない。次に、「らしい、だろう、でしょう、と、けれども、が、から、し、な、ので、のに、やら、か、ぞ、とも、ばかり、だけ」などの辞や体言に続く場合も何の変化も起こらない。つまり、一段動詞の終止形と連体形は基本形と同じ形である。受身、自発、可能、尊敬の意を表す助動詞「られる」、使役の意を表す助動詞「させる」、推量、意志、勧誘の意を表す助動詞「よう」、否定の意を表す助動詞「ない、ぬ」などにつづくときにも、「ます、つつ、ながら、たい、たがる、た、て、ても、たり」などの辞につづくときにも、他の活用する語につづくときにも、さらに、ちょっと言葉を切る場合にも、一段動詞の最後の音節「る」が脱落した。つまり、一段動詞の未然形と連用形は「る」の脱落した形となったのである。つぎに、接続助詞「ば」につづくときには、最後の音節「る」は「れ」になった。つまり、語尾の最後の母音「u」は「e」になった。最後に、命令の意を含めた陳述で言い切っているときには、最後の音節「る」は母音「u」が「o」になったことによって「ろ」になったというような場合もあるが、あるいは最後の音節「る」は全体として子音と母音両方とも変わったことによって「よ」になったというような場合もある。つまり、一段動詞の命令形には二種類の形がある。無論、五段動詞と同じように、一段動詞の活用形変化には例外がある。しかし、例外は「くれる」という一語だけである。それに、「くれる」の活用形変化には他の一段動詞と違うのが命令形だけである。「くれる」の命令形は「くれろ」でもなく、「くれよ」でもなく、最後の音節「る」の脱落した形「くれ」である。
さて、変格活用動詞について述べよう。変格活用動詞の語幹は何かというと、複雑な問題になる。ローマ字で考えると、語幹は「k」、「s」と言えるが、「ko-」、「ki-」、「ku-」のように語幹の母音が変化するものともいえるのであろう。そういうわけで、やはり仮名から考えなければならない。
まず、カ変動詞「くる」について考えてみよう。まず、「られる、させる、ない、まい、ぬ、よう」などの助動詞につづくと、「くる」は「こ」という形になる。すなわち、カ変動詞の未然形は「こ」である。「ます、つつ、ながら、たい、たがる、た、て、ても、たり」などの辞に続くときにも、ちょっと言葉を切る場合にも、「くる」は「き」と言う形になる。すなわち、カ変動詞の連用形は「き」である。「らしい、と、けど、ので」などの辞や体言に続く場合、または、断定して言い切りになっている場合は、「くる」は何の変化も起こらない。すなわち、他の動詞と同じように、カ変動詞の終止形と連体形は基本形と同じ形をとる。「ば」につづくときには、「くる」は「くれ」と言う形になる。すなわち、他の動詞と同じように、カ変動詞の仮定形も最後の母音「u」が「e」に変わった形をとる。命令の意を含めた陳述で言い切っているときには、「くる」は「こい」と言う形になる。すなわち、カ変動詞の命令形は「こい」である。
つぎに、サ変動詞「する」について考えてみよう。同じ不規則動詞であるが、カ変動詞に比べると、活用形変化がもっと複雑である。まず、サ変動詞の未然形を考えてみると、三つの形が現れてきたことに気がついたのであろう。受身、自発、尊敬の意を表す助動詞「れる」、使役助動詞「せる」につづくときには、「する」は「すら、す、そ」などのような形になるのではなく、「さ」という形になった。しかし、ここで一つの注意しなければならない点がある。「れる」という助動詞は受身、自発、尊敬の意を表す以外に、可能の意をも表す。だが、サ変動詞「する」の可能形態は「される」ではなく、「できる」という一段動詞となっているのである。つぎに、推量、意志、勧誘の意を表す助動詞「よう」、否定推量、否定意志助動詞「まい」、否定の意を表す助動詞「ない」につづくときには、「する」は「し」という形になった。もう一つ否定の意を表す助動詞「ぬ」およびこの助動詞の連用形「ず」と仮定形「ね」に続くときには、「する」は「さ」になるのでもなく、「し」になるのでもなく、「せ」という形になったのである。つまり、サ変動詞の未然形は「さ」、「し」、「せ」という三つの形がある。「ます、つつ、ながら」などの辞につづくときにも、ちょっと言葉を切る場合にも、「する」は「し」という形をとる。すなわち、サ変動詞の連用形は「し」である。「らしい、と、けど、ので」などの辞や体言に続く場合と断定して言い切りになっている場合は「する」は何の変化も起こらない。すなわち、ほかの動詞と同じように、サ変動詞の終止形と連体形も基本形の形をとるのである。「ば」につづくときには、ほかの動詞と同じで、サ変動詞の仮定形も最後の母音「u」が「e」に変わった形をとる。最後に、命令の意を含めた陳述で言い切っているときには、すなわちサ変動詞の命令形は「しろ」と「せよ」と分けている。話し言葉として使われているサ変動詞の命令形は「しろ」という形をとり、書き言葉として使われているサ変動詞の命令形は「せよ」という形をとるのが普通である。
以上で、日本語動詞の活用形変化について簡単に述べたが、最後に残った一つの特殊な動詞がある。それは現代語では未然形、連用形、終止形、連体形として使われている文語動詞「得る」である。ここでその四つの活用形について述べさせていただきたい。普通は「得る」は五段動詞「ある」の連用形「あり」に結びついて使われているという。一般的には未然形は「ない」という助動詞につづいて使われている。「そんなことはあり得ない」というように「得る」は「え」という形になるのである。「いいや、あり得る」、「あり得る話だ」というように「得る」の終止形と連体形は「える」という形になる場合もあり、「うる」という形になる場合もある。「人民から得たものを人民のために用いる」というように「得る」の連用形は「え」という形になるのである。この四つの活用形のほかに、「得る」の仮定形、命令形は「得ろ」「得れ」とは使わず、ほかの言葉に置き換えられてしまうと思う。「資格をとれ」という文は「資格を得る」ことだが、「資格を得ろ」とは言わない。同じように、「辞書があれば、調べられるのに。」「友達がいれば、助けてもらえたのに。」などと、いうように反実仮想を表す場合も、「得れ」とは使わず、ほかの言葉に置き換えられてしまうと思う。
以上の内容をまとめてみれば、三つのポイントが出てきた。それはつぎのようになるのである。
1、五段動詞以外の動詞はすべて「る」で終わる動詞であること。
2、「る」で終わらない動詞は必ず五段動詞であること。
3、すべての動詞(「得る」だけが例外)は終止形、連体形、仮定形への変え方が同じであること。
以上述べたようなその一定の規則性を持っている日本語動詞はその独特な活用形変化で多くの日本語学習者にすごい魅力的な感じを与えたのではないだろう。
参考文献
「日本語のシンタクスと意味Ⅱ」 寺村秀夫 くろしお出版 1990年
「改稿 日本語文法の話 第三版」 阪倉篤義 教育出版 平成10年
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风流云散,一别如雨。